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新聞ジャーナリストときたら、24時間すべてが公生活の意識をもって律せられ、厳粛な意味での私と名なのつく生活はほとんどない。
つまり、影をもたない、いや、もともとは持っていた影をニュースという神に捧げ渡した男の群れが、新聞ジャーナリストというものなのである。
影なき男。。。
俺のことかなぁ?。。。
今の生活には明らかにナマ身一匹の人間が生きてゆく”生”の投影としての私生活がまるでない。。
一つのことを常に考えしかもそのために行動する。ストイックになる業界は新聞ジャーナリストだけではない。芸術界でもそうだ。しかし司馬遼太郎も言うように新聞ジャーナリストはたの人が想像により作り上げる事によって発散した気体を扱う。気体を扱うのは影のある人間でなくても出来てしまうと言うように批判をしている。
もちろん新聞ジャーナリスムにも気体を作り上げている人はいる。生きているけれど、気体を作り上げないで身を削る仕事に人生を費やしている人もいる。
影なき男にならないためにも、もっと周りを見る必要があるように自分には感じた。
一つのことに懸ける事はいいことだと思うし、今の自分に必要な事であるようにも感じるけれど、影のない男になってしまう可能性も十分にあると思う。
もう一度自分に影があるか確かめてみよう。ないなら取り戻さなくちゃ。。。