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今日は丹下健三について少し書こうと思っている。
今月号のCASA BRUTUSでも特集されている。2005年3月22日に91歳で亡くなった丹下健三、数々の名建築を世に送り出した日本を代表する建築家。
丹下健三DNAは建築界に蔓延していて、このDNAを持っていない建築家のほうが少ないであろう。
- ランドスケープを建築の中に取り込み建築をつくることに関して丹下の右に出るものはいない。丹下健三の代表作として広島計画及び広島ピースセンター(1955)がある。この作品を中心として彼の作品の中に超越性や至高性があるという。僕自身彼の建築を見ていてそう言った面を感じる事が出来る。特に超越性を感じる。人間の世界を超え神の世界に近づこうとするような彼の絶対的な到達点があるように感じる。それはモダニズムの枠を超えているようにさえ感じてしまう。
日本建築がミニマリスム化してくると丹下の建築は次第に受け入れられなくなり、変わりに安藤忠雄のような明瞭で分かりやすい建築が建築界に現れて来たのではないだろうか?
丹下は外国の仕事が多くなったのもこのため、のように思える。
戦前や戦後まもなくは建築事態社会を変える力があったように思う。
しかし今現代社会ではその力はもはやない。大きなビルが建つ。それによって日本が変わるのであろうか?
彼は建築家を目指し、大学を卒業と同時に丹下事務所で研究生として丹下健三との交流を持つ。
都市計画を勉強し、大成建設に入社。一級建築士の資格も持つバリバリの建築家だった。
その彼が今度の衆議院選に東京11区の小選挙区で出馬する。
渡なべ浩一郎青春記
何故建築家だった人が政治家に転向したのだろう??僕にとってものすごく大きな疑問がある。建築家は建物をつくり、政治家は国をつくる。。
僕にとってこの二つを一回の人生の中で出来る事に凄く魅力を感じる。
身体障害者の人が政治家になれば、障害者に使いやすい街を誰よりも考えてくれるだろうし、ホリエモンのような人が政治家になれば、社会の仕組みをきれいに整えることが出来るかも知れない。建築家が政治家になれば、街が住みよい街になるかもしれない。。
ようは政治家だって人間だし、社会と密接に関わっている職業である。だからこそ一旦社会に出てた人間や、社会的にその人にしか経験できない経験や知識、感性を持っている人に政治家になって欲しいと僕は思う。理屈だけでは政治にならない。