地域性
小中学生の友達。
高校の友達。
大学の友達。
NGO団体の友達。
いろいろな所に友達がいる。
同じようなノリでこれらの友達と接する事は危険でありあまり好ましくない。
大学の友達は皆大学生だし、同じ専門だし考え方をお互いがお互いに論ずる事も出来るし、考えが間違っていると感じた時には、集中的に攻撃する事も出来る。
高校時代はお互いに夢ばかり語っていたし目の前の事に夢中になっていた。そんな時の友達。
小中学は勉強が好きな奴もいればまったく何も考えていない奴までさまざま。
こんないろんな友達が成長し、会って話す時に同じような感覚で話が出来るわけがない。だからこそその場にあった自分を出す事が重要であると感じている。
この考え方は実際周りの人に批判されるやり方でもあると思う。八方美人と呼ばれても反論出来ないだろう。
でも場所が違えばコミュニティだって明らかに違うはず。
グローバル社会とかっていう言葉は現代社会の中に浸透しているけれども、実際社会で僕の周りのコミュニティの違いがこれだけあるのだから、グローバル社会なんて興味すらなくなる。
完璧なグローバルな社会は造ろうと思っても無理なことがこういった自分の周りの状況から理解出来るのであります。
Fukuma Kotaro もう聞いた???