takatomboのひとりごと(子育てパパの日記)

男性の子育てってなんだ?どこまでが子育て?毎日の気づきをブログに書きます。

建築とアート

ノルウェーの建築家ツベレー・フェーン展を芸大まで見に行った。図面は本に載っているけれども模型を近くで見るのはもちろんはじめて。ただちょと模型が小さすぎて空間が分かりにくかったけれど、図面だけでは分からなかった部分まで見れたので良かった。建築展というのは本物を持ってくることが出来ない。そこにあるのは模型だけ。ともなればやはりアートとしては少し物足りない。建築関係の人は膨大な金を使って外国まで建物を見に行く。。

それは建築界では当たり前なことだけれど芸術界では向こうから来てくれることも多い。そう特別展という名前で美術館で催されるものである。

いっそ建築も特別展ではないけれど他の場所に建ててもおかしくはない気がする。世の中に存在するのであろうか?移築とかではなく例えばサヴォア邸をどっかの公園の中に建てるとか。仮に3000万円で建てられるとして、入場料を300円ぐらい取って、そのうち1/3を利益として一日100人来たとすると9年でもとを取れる計算になるよ。。誰かやらない?俺にも金入ってくるのかな??やろうよ。皆見たがってるよ。だってはるばる見るだけのためにパリまで行くんだから。安いでしょ。こっちの方が。。。たとえ偽者でも、大きな模型と思えばさ。。。。



今回せっかく上野まで行ったので、国立西洋美術館でやっている、アンリ・マティス展を見てきた。僕は彼のことをよく知らなかったけど作品を見ていると「あ、これか」と思える作品がいくつかあった。特別感動はしなかったけど、彼はアートのプロセスをそのままアートにしてしまった人物。抽象画を書くにも色々模索しながら作っていると言うのを途中経過を写真で撮りそれを作品の横に並べている。同じものを違う手法でといたり、多様な技法を使うマティスは見ていて、同じ人がつくったとは思えない、そんな風に思えた。このプロセスというのは建築界でも常識のように問われている。結果だけが一般に評価されるものであるだけじゃなく、どのようにその造形やイメージに結びついたかを説明する。人は頭の中で考えていることを形にした時、頭の中のように純な場と違って、あらゆる部分で規制されて現れる。そのものを社会や時代や空間、場を考慮してイメージに近づけていく作業。それは一つのアートとして成り立っているように思う。僕も大学に入ってから、人の伝記や建築プロセスの本に興味を持ちよく読んでいるし、課題をやる時もプロセスを大事にしながら設計している。。。。


プロセスの時代ですよ。ちなみにマティスは1945年からそれをやっていたらしい。。恐れ入ります


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