部分の友達、部分の自分
いつから人を人格以外でもみるようになってきたのだろうか
何処何処大学のtakatombo
なんて言われるように肩書きが出来た。
社会人になると会社名プラス収入もその人の評価に繋がっているのかもしれない。
別に誰も気にしていないのかも知れない。でもそれは気にしていないのではなくて気にしないようにしているだけのように思う。
少なくとも自分はね。
新聞記者のA君、電気屋さんのBさん、コンピューター屋さんのCさん、自動車屋さんのD君薬屋のE君、弁護士のEさんなんてね。その人の人間性とは関係しているのかもしれないけれどそれでも肩書きだよね。
肩書きがないと評価できないのかもしれないね。
まあしょうがないよね。。でももっと悲しいのは収入や会社のブランドで人を評価しちゃっている自分がとてつもなく悲しくなる。
そりゃ人の二倍の時間をかけて働いても収入が人の半分だったら人をそういう目で見ちゃうのも仕方がない。
でもそんなちっちゃい人間じゃだめだよね。
気にしないようにするべきで、それを通さなきゃ。。
収入の話はやめよう。
お金より大切なものを見つけなきゃな。。
自分にいつも言い聞かせています。
それじゃなきゃ。。。
それしか方法がないんですよね。。
いつまでこんなわけ分からない事言ってられるかなぁ。。